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愛はオカマを惜しみなく

西のオカマの戯言よ。

オカマたちの夜

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  シャッターの閉じられた彩度の低い朝の通りを歩くと、昨夜の喧騒から千年の時を経たような錯覚に陥るわ。 無理やり脱がされて激怒する子や、アイドルの曲を歌いながら感極まって泣いている子。毒にも薬にもならない恋愛の説教を、安っぽいお酒に溶かして得意げに振る舞うガチムチのママ。よくあるゲイバーの光景ね。
 私も、誰かから借りてきた言葉をオカマ口調で過剰包装して、それはそれは楽しげに過ごしたわ。「ハズレの店を引いてしまった」と悟られぬよう、会話の途切れる瞬間を待ちながら。その場の温度を下げぬまま、そっと自分だけが消える瞬間を、舞台の暗がりで今か今かと待ちながら。

  次のお店は、ジャズの流れる落ち着いた雰囲気のゲイバーだったわ。客の年齢層は様々だけど、さっきのお店のように、ゲイの教典をなぞるような姿を晒す者は一人もいなかった。思い思いにお酒を楽しみ、穏やかな口調で人生の機微を語る。ロックグラス越しに、ママの顔面にモザイクをかける必要もなかった。

 同じ街の、同じゲイでも、これほどまでに違う。

 世間からはマイノリティと呼ばれるゲイだけど、男性の20~30人に一人はゲイであると言われているわ。確かに異性愛者と比べれば少数派と言えるけど、 その数は決して少数と呼べるものではないの。ゲイ向けのウェブサイトを見てみれば、昔懐かしい来訪者カウンターは数十万を示していることもざらよ。それほどまでに、ゲイの数は多いの。

 異性愛者が会社や学校で一日を過ごせば、ゲイに出会わない日はないわ。でも、多くの人は、「ゲイなんて周囲にいない」と言ってはばからない。それは大多数のゲイが、ノンケ(異性愛者)に上手く擬態しているから。たまに、内側から溢れ出るオカマを隠し切れず、「あの人、もしかして……?」と噂されることもあるけど、大半が疑惑のまま終わるわ。それほどまでに、ゲイは目立たないの。

 青空に無数の見えない星が存在するのと同じで、同性愛は無数に存在するけど、普段は顔を出すことがないのよ。白夜の星々、それがゲイよ。でも、昼間に燦然と輝く星があれば、人々の目は釘付けとなり、他の一切を見ようとはしなくなる。テレビに映るゲイや、オカマバーで働くようなゲイを見て、人々はそれが同性愛の全てだと思う。物言わぬ星々の全てが、どこかで同じように瞬いていると信じている。

 ゲイがおしなべてメイクや美容に興味を持っているわけではないし、男を見れば誰にでも欲情するわけでもない。恋愛経験が豊富で的確なアドバイスをくれるものではないし、特別に感性が優れているわけでもない。もし、ゲイの感性が異性愛者より優れているとすれば、今ごろボンデージを着たオカマがこの世を総べているわ。才能に異性愛も同性愛も関係ないの。特別な何かなんてないのよ。

 オカマの私もノンケのふとした可愛い仕草を見るたびに、「ノンケにしか出せないノンケっぽさが最高!オカマには絶対ムリ!」と叫んでいるけど、それは”オカマっぽくない”という性質を持ったノンケに限っての話。屁理屈かも知れないけど、そういうものなのよ。

 ゲイバーに通うと、様々なゲイの姿が見えてくるわ。でもね、ゲイバーはゲイ社会の縮図ではないの。バーに通うゲイなんて、ゲイの中でもごく少数だから。それでもここに通うのは、ゲイとしての存在価値を証明したいからなのかも知れない。

 バーをあとにして、酔いの覚めない重い身体で、ふらふらと駅ビルに着いたときには、私のドレスは砂となり、ガラスの靴は溶け落ちていたわ。改札の前ですれ違うサラリーマンが、まるで自分を映す鏡のようで、少しだけ歩幅を広くさせたの。逃げるように、そして、奮い立つように。
 始発までのわずかな時間、駅のホームに佇んでいると、朝焼けがくっきりとビルの輪郭を映し出したわ。シャンパン色の空に、白んだ星々が踊っている。また、一日が始まる。