年をとったオカマはどこへ消えるの?
新宿二丁目に捨てるゴミなし。
ゲイが男性を選ぶ基準の多様性を表す格言よ。どんな容姿の男性でも、必ず誰かの好みに当てはまるってこと。
確かに、私のような女子力も男子力も低い体たらくなオカマでも、昔は恋人と呼べる男性がいたわ。
もしも私がノンケだったら、今ごろ亡霊のようにまとわり憑いた貞節を打ち払うことに毎日必死だったでしょうね。
そうは言っても、持て余した愛欲のすべてをメンズバーのお兄ちゃんたちにぶつけている今の姿と、あまり変わらないのかも知れないけど。
さて、容姿はもちろんだけど、年齢に関してもゲイ業界には捨てるゴミが存在しないの。
年老いた男性を好む”老け専”のゲイや、棺桶に足を突っ込んだ年齢の男性を好む”桶専”まで、ゲイの好みは幅広いのよ。
でも、ゲイのコミュニティでおじいさんのゲイを見かけることは、さほど多くないのよね。たまに還暦を迎えた方がゲイバーで飲んでる姿を見かけるけど、ゲイの人口に比べれば圧倒的に見かける数は少ないわ。
年をとったゲイは、いったいどこへ行くのかしら。
ゲイは年齢に反して見た目が驚くほど若いから、年とをったゲイの存在に誰も気付かないだけなのかしら。
私の友人の、今年で四十五になるゲイの家にお邪魔したときには、部屋には最新のJ–POPが流れ、クローゼットには若者向けの洋服がずらりと並んでいたわ。
彼自身も顔にはシワがほとんどないし、髪もふさふさ。年齢より十五は若く見えるの。
どうしてそんなに若作りをするのかと聞くと、「この業界は見た目がすべてだから」と答えたわ。
そうね。現実は非情なものよ。二丁目に捨てるゴミはないけど、ゴミそのものは確かに存在する。業界の上層には幾重にもヒエラルキーの階層が連なっていて、ゴミ溜めに落ちないよう必死にあがいているのね。
「見た目が若いとゲイ業界では得をするけど、ノンケの社会では舐められるんだ。それでも俺は若さを取るけどね。」
そう言って笑う彼の爽やかな横顔が、私の世界との境界をはっきり示していたわ。
きっと、彼はこの先ずっと若くあり続けることでしょうね。めいっぱいのお洒落をして若い介護ヘルパーの隣を歩くおばあさんのように、ゲイとしての喜びを死ぬまで求め続けるのね。
では、私のように美と若さに執着のないゲイは、いったいどこへ行くのかしら。
ノンケの世界を見てみると、70代以上の男性ともなると、性を超越して人生を達観していらっしゃる方が多いわね。
もしゲイもそうであるなら、年をとったゲイは、もはや自分がゲイであるかどうかは関係なくて、ただただ人間としてどのような最期を迎えるべきかを考え始めるのかも知れないわね。
自分の将来がどうなるか。結局、そんなことを想像できるゲイはいないのよ。若さを消費していくことの意味すら曖昧な世界。
私も数十年後は竹野内豊似のイケメンヘルパーの前でオカマ言葉を隠してオラオラ系の男を演じているのかしら? もしそうなったときのために、世の中にイケメンヘルパーが増えることを祈るばかりだわ。
ろくでもない人生だもの。せめてイケメンの腕の中でくたばりたいわ。